TDRホテルマンからの引越屋からの脳血管障害のおはなし

ホテルマンを辞め、なぜか引越屋を始めたおじさんのはなし

仕事のこと 「ディズニーとの出会い」後編

東急ホテルからの異動

高校時代から含め、約3年くらい勤務しました。


一応後輩が出来るくらいにはなりましたが、まだまだ。


配ぜん人は10代から70代くらいまで幅広い。




そんな時に



配膳責任者Uさん
「新たにうちの会社で新宿のホテルに入るから
          行ってみない、黒服として」


わたし「黒服ですか!」


黒服

会場の責任者を行うポジション、通常スタッフとは違う
黒のタキシードを着用することから 「黒服」とよばれる


異動からのステップアップ


そんなこんなで


新宿へ異動。


何度か喧嘩して辞めて、戻って 


みたいなことを続けました。




この間、23歳の時に結婚相手も同僚から見つけました。






ある時、取引先の司会者の会社の社長から


ホテルコンサルティングの会社を


紹介され退職し、その会社へ転職。





鬼のような会社で


朝 〇〇ホテル調理課
昼 〇〇ホテル営業課
夜 〇〇ホテルバンケットサービス課





こんな勤務を続けていると


取引先の会社に出向のような形で異動となり





その会社の人
「舞浜で新たなホテルが出来るから

       責任者で行ってもらえないかな」



わたし「舞浜ですか?以前、舞浜におりましたよ」



その会社のひと
「じゃあなおさら良いね、部屋も用意するから」



とのことで、舞浜に戻るのでした。




舞浜リターンズ



以前勤めていた東急ホテルは経営者が変わり



ホテル名も変わり残っていました。





その隣に新規のホテルがオープンしていたのです。





少したってからそのホテルへ配属となったのですが





そこになんと





東急時代の


一番怖い先輩の



「Nさん」







がいたのです。



わたし


「お久ぶりです。Nさん。その節は・・・」プルプル



Nさん


「おー、久しぶり。お前だったのかー、よろしくねー♡」





あれ、おかしいぞ、口調も違うし優しい。
オネエになったのか?



なんて思いながら、働いていると



若いアルバイトの女の子たちが


Nさんと仲良く話してるし



メールとかしてる。



時代が変わったのですね。







少したってから


いろいろありNさんはディズニー直営ホテルに



異動され、その後も長いお付き合いとなりました。




TDR研修

なんのタイミングだったかは



忘れてしまったのですが


2度ほど、オリエンタルランドさんの



研修を受ける機会がありました。



この研修は、私の人生を大きく変える



きっかけになるくらい素晴らしいもので



接客問わず





仕事をするには
この考えが
一番正解だ





と、思わせられるものでした。



あとに話しますが、自営の運送会社を始め


これが開業直後から大当たりします。




ディズニーの考えに従っただけなんです。





一番最初に舞浜に来たときは余裕がなく


自分の作業で一杯でしたが、この時は


50人くらいの部下もおり、大きな視点で仕事をすることが


必要だったため、本当に勉強になりました。



舞浜勤務のメリットとデメリット



ディズニーリゾートと都心のホテルでは



お客様層が大きく異なります。





層というよりは、お客様の気持ちが違うんです。





都心のホテルの利用目的は



「宿泊」
「商談」
「パーティー」



などお客様、皆様の目的があります。





ディズニーリゾートは、ほぼパークへ行くことなんです。





都心ホテルのお客様は、スタッフの目を見ません。


TDRのお客様は、輝いた目でスタッフを見ます。





そのため、働いているこちらも



楽しい気持ちで働けるんです。





「いってらっしゃい」


「ごきげんようプリンセス」


「お帰りなさいませ」





幸せな気持ちがたくさんもらえるので



疲れも吹っ飛びます。






デメリット、というか個人によることだと思いますが
辞めてからは、「舞浜」ってきくと





大混雑の舞浜駅


を思い出してしまうため


TDRに行きたくなくなるくらいかな。





まあともかく、ディズニーは夢と魔法の国です。



キャストもゲストも
みんな幸せに
なることが出来る
日本で唯一の場所です。



良い経験でした。




仕事のこと 「ディズニーとの出会い」中編

面接


当時17才


世間知らずで


ホテルのこともよくわかってませんでした。




普通に呼ばれた日に面接に言ったら


「株式会社〇〇サービス 就労責任者 Uです」


と名刺をいただきました。



あれっ、東急ホテルじゃないんかーい。


と思っていると、


ホテルスタッフの仕組み


・ホテルがあって
・正社員がいて
・接客をする派遣みたいな人たち
          ※正確には配膳人(職業紹介形式)


こういう仕組みだったんですね。
部署やホテルによってすべて異なるんですが
一般的にはこんな感じで





「くりぱぱさんは、宴会サービス課に配属です」





宴会サービス課?





初めて聞く単語です。




面接は?配属先が決まったの?


とりあえず採用のようです。




ちなみに





1990年代後半


ガソリンスタンド時給 700円


ホテルマン時給 1,300円




ひゃっほー!



ホテルマンデビュー


まあ、スタッフの人数が多いこと。


舞浜駅からホテルまでは社員用バスなのですが


乗れないことがあるくらい人が多い。


初期研修


スタッフの皆さんがカッコいい!


・決まった髪型
・タキシード
・蝶ネクタイ
・輝く靴


こんな環境で働くんだなーとワクワクしながら研修です。


宴会サービス課

パーティーやセミナー、ブライダル等 大人数を対象とする
貸し切りのスペースにて行うイベントの接客スタッフ。


ということで


・料理の出し方
・ワインの注ぎ方
・お皿の持ち方
・トレーの持ち方
・立ち方
・ディズニーのこと


こんな感じの研修です。
すべて未知の世界。




確か、数日間の研修を終え、いよいよデビューです。




初 披露宴接客



もう20年以上前のことで、今とは全然時代の違う
ホテルのスタイルでした。


・1会場に10テーブルあり


・1テーブルに2人のスタッフがいて


・他にドリンクスタッフがいて


約100名のお客様を20人くらいで対応します。
今のホテル事情を知っている方は驚きの人数ですよね。



もう必死でした。



怖い先輩



先輩スタッフに指導していただき


時代は体育会系 全盛期!


・物を投げる


・殴る


・罵声を放つ


は当たり前。


本当に怖い先輩がたくさんいました。




この時に一番怖い先輩が「Nさん」



イス投げたり


人投げたり


リネンカートに人入れてたり




まさか10年近くたってから、再開するとは。


次回へ続く

仕事のこと 「ディズニーとの出会い」前編

入院のことばかりでしたので


たまには仕事のこと。


高校時代のガソスタバイト


高校時代にガソリンスタンドでバイトして


学校行かないでバイトして


気づいたらバイト代 20万


しかも当時はセルフスタイルのガソスタってなかったので


1台1台接客。


歩合制


「給油中にエンジンルーム無料で点検します」


と言いながら、オイル交換などの案内。


「今なら30分で交換できますよ」


ってセールスがあり、歩合もあった。


自分が売ったガソリン以外の、1割が歩合なんです。


洗車とかオイル交換とか部品交換とか。


多い月だと、歩合が20万位あるんです。


そんなことしてると「セールス」が面白い。


高校生がみんな競うんです。


接客レベルがどんどん上がるんです。


しかも、スタンド全体が売り上げ達成すると


歩合3倍


12月が一番の繁忙期なんで、1月の給料と


歩合で 50万位もらえました。


当時、ホタテのマークのスタンドでバイトしてましたが


個人で月間120万位の売上があり、全国1位の結果を上げることが出来て


調子乗ったんですねー


接客を極めたい

毎日、油まみれで一生終わらせられん。


もっと良い接客を学びたい。


ということで、当時 



こんなドラマやってて


「ホテルマンだ」


「ねえさん・・・」



1990年代の舞浜

家から近いホテルを探すと


「舞浜」


ディズニーランドの周りでした。


当時は、ディズニーランドのみで


ディズニーシーもまだなくて


ホテルも


・サンルート東京ベイ
・東京ベイホテル東急
・ヒルトン東京ベイ
・第一ホテル東京ベイ
・シェラトンホテル東京ベイ


の5軒だけでした。


原チャリで、どこにしようかなーと回っていると


ここ、一番大きいしピンと来たぜ


と選んだのが


「東京ベイ ホテル東急」



早速、履歴書送りました。


次回へ続く



※現在、写真のホテルは東京ベイホテル東急から
 グランドニッコーホテルとなりました。